2012年9月12日水曜日

どうしてもさびしさにたえられず 自然と非行に走った


 

 教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
  ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー

 
             始めからわかっていた  今日の勉強

 私は京都ろう学校の幼稚部へ入学するまでは何一つおぼえていませんが、幼稚部へ入学してから中学1年まで、ろう学校の生活を送った。
 その生活の中でもいろいろと感動を味わった。

 私は同級生の中でも勉強の方は誰にも負けませんでした。
 授業に入るたびに先生が説明する前にも今日の勉強は何をするかは始めからわかっていたから。


 それは不思議と思っていたが、あとでわかったのは、私のお母さんが、私が耳がわるいとわかっていてその上に、お母さんまで中途難聴になったショックから、出来れば自分の息子だけでも不幸な世の中に送ってほしくないと思いながら、幼稚部に入ってから私への口話訓練をほかの人よりも倍にしこんでいたからだった。

  ほかの普通の人と同じように出来なかった
                私のお母さんの口話訓練

 小学部からは、復習に予習に毎晩のように厳しくしごんでいたおかげであった。

 残念なことには、私のお母さんは、口話訓練についても、ほかの普通の人と同じように出来なかった……。

 というのは、お母さんが中途難聴のため、自分の息子のことばの声が聞きとれないためでもあったと思うし、その時、お母さんはくやしい思いをしたはずだと今になって私はそう思えるようになった。
 でも当時の私は、勉強がよく出来るといってじまんしていたわけでもなかった。

 それは、同級生の中にも、不幸な生徒ばかりが集まっていたから。

 一番ショックをうけた小学3年の時

 母子家庭、父子家庭、同和出身、在日朝鮮人、二重障害者、孤児、子どもと一緒では生活出来ないために一時的に施設に入る生徒たちも一緒に学校生活を送っていた。

 生活の貧しさから小学1年から盗みをおぼえ、せっ盗とかいろいろと悪いことをしている同級生が多かった。

 私が時にはそのことで注意したら、ほかの人は

「おまえはお父さん、お母さんいるから、おこづかいがもらえるし、ぼくら一つももらえないし、おまえはまじめや、仲間はずれしてやる」

と言われて一番ショックをうけたのは、たぶん小学3年の時だった。

 仲間はずれになり一人ぽっちになりたくないから自然に交流している間に盗みもいろいろとわるいことをおぼえるようになった。

 仲間はずれにしてほしくないと思いながら、自然にその友達のなかに入ったのは私の環境もあったと思う。

  家の前は小学校 毎朝通学している生徒をみていると「ベラベラ」とおしゃべりしたり楽しそう

 私の家の前は小学校であった。
 毎朝通学している生徒をみていると「ベラベラ」とおしゃべりしたり楽しそうに見えて、私もこの人と一緒になれたらいいなあと思っても、なかなか一緒になれなかった。
 耳がわるかったからです。
 家へ帰ってもあまり友達がいません。

 ただとなり同士の子どもだけと遊んでいても、その子どもは自分の同じ小学校の友達があそびに来ると、私は自然に仲間はずれになってしまう。

 又、その友達が帰ればとなりの子どもは一緒に遊んでくれるといった具合から、どうしてもさびしさにたえられなかった。

  自然と非行に走った

 だから自然に悪友と交じわるようになり非行に走ってしまった。

 そのため、悪さをして、学校の先生にばれて、怒られたり、廊下に立たされたりする日々がつづくようになった。
                                                  ( つづく )

                                                                    Esperanza
 

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