教育としてのろう教育・聴覚障害児教育・障害児教育
ー 京都のほどんど知られていない障害児教育から学ぶ教育 ー
多くの方からご意見をいただいたので、今まで掲載した山城高校定時制の生徒と同時期卒業した全日制の聴覚障害生徒T子さんの「卒業論文」を分割して掲載します。
彼女はかなり熟考して書いてくれています。
定時制と全日制の授業や取り組みについては違いがあるけれど、聴覚障害生徒や担当教師は全日制と定時制をわけへだてなく接してきました。
T子さんの文章を読んで、聴覚障害教育は、成人や青年期からもう一度幼児期、学童期の教育のあり方について考え増した。
聞こえの権利保障に消極的であったが (1)
友人関係について
難聴の友人
難聴生同士の友情ならまず80以上は成功すると言っていいほど良好である。
後残る20%は性格などの不一致によるもので、健聴生同士の世界でもよく見かけるものである。
健聴生たちの中で育って来た難聴生同士ほどうまく行くものである。
聾学校の聾唖者同士でも卒業後、社会に出てしまえば同じ様なものである。
ただ、健聴生の中で育って来た難聴生に比べて、難聴、又は聾唖者同士で話し合える有りがたさを知る機会が非常に少ない。
ただそれだけのことである。
健聴生たちと過ごすなかで 健聴生とのよりも難聴生同士の方がうまくいくことのありがたさをしみじみ知った
それらがわかったのもこの山城高校に入ってからの事であり、それまでの私は、難聴生同士の友情をまるで当り前の様に思っていたのである。
小4まで東京にある聾学校に通っていて、中3まで、難聴学級という特殊学級が設けられていたD小学校、N条中学校へと私は通っていた。
健聴生たちと共にする時があるとはいえ、私たちにとっては「無」に等しいぐらいに時間的に足りなかった。
それ以外はずうっと難聴生同士で暮していたのでありがたさ、等少しも知るすべもなかった。
ただわかっていたのは、健聴生とのよりも難聴生同士の方がうまく行きやすいという事だけであった。
山城に入って、健聴生たちと過ごすなかで、ありがたさ、をしみじみと感じる様になった。
最も特にそれを感じた時期が、山城高校に入ったばかりの頃、健聴生たちの中で過ごすのにまだ慣れていなく、どうしていいかわからず、少々とまどっていた時であった。
話がなかなか通じないのを痛切に感じ、知らぬ間に臆病になっていったのが自分でも後でよくわかった。
唯一の楽しみが日曜日だった
そんな時の私にとっての唯一の楽しみが日曜日だった。
日曜日となると私はすぐ、中学の時とても仲の良かった人の家へ行ったりしてその寂しさをまぎらわせていた。
やがて1日が終わると又、明日から学校が始まり、ああイヤだな、早く日曜日になるといいのに、と願っていたほどである。
もうひとつ楽しみだったのが、部活動一バドミントン部だった。
私自身、バドミントンが大好きで、部の同級生や先輩たちもこの上なくいい人ばかりで、これ以上言うこと等なかったはずなのにやめてしまった。
何度も繰り返すが、難聴生同士の友情とはかけがえのない物であってとても非常にいいものである。
同じ悩みを持ち、同じ苦しみをわかち合えるからと、世間の人々は口をそろえがちである。
しかし、私はそれだけの事ではないような気がしてたまらない。
私は、かつて東京の聾学校に通っていた。
その頃の友達を9年たった今もずっと忘れられずにいる。
その中には9年間ずっと文通だけで仲を保って来た人もいる。
9年ものブランクがあろうと話し合おうと思えば今にでも話せる。
手紙だって書こうと思えば今にでも出せる。
その様な友達ばかりなのである。
それが難聴と健聴だとこうもうまく行かない。
それも、難聴生同士における友情の長所の1っではないかと私は思う。
少しの交流で 友情を育てられない
D小とかN条中と山城高校と9年間(小4~高3)、私は難聴学級に所属していた。
その中でも最も良かったと思うのが山城高校である。
友人関係は又別に、まず制度がいいと思った。
制度については他のD小もN中も見習うべきだと思った。
今のままでは聾学校の再現に過ぎないと思う。
どっちも勉強まで見る必要はないと思う。
難聴生が授業を理解する。
それはそれなりにすばらしいと思う。
しかし、そのままでは聾学校と同じである。
少しの交流があると言っても、友情を育てられるほどの時間がある訳でもない。
何もならない。
考えなおす、又は山城を見習うべきではないかとふと思ってしまう。
勉強の面では、補充する程度にして、何も始めから終わりまで見る必要はないと思う。
今から思うと山城高校でのやり方は本当に良かったと思う。
ミーティング以外は健聴生と過ごす。
ミーティングとは週に1回、難聴生が皆集まりいろいろな事について話し合う。 それはとてもいい対策ではあるが時間的に足りないと思った。
困った事など1週間分を、たったの1日、しかも約20分前後で、奥深く話し合い、解決するものなのかと思ってしまう。
話す時間がないとはいえ、もっと別の対策を立てるべきだったなあと思う。
例えばH.Rの時間をミーティングの時間にするとか。(無理な話だとはわかっているけど。)
卒業した今頃、あれこれ考えているうちにそう思う様になった。
他にもっと真面目にするべきだったとか、もっと参加意欲を増やすんだったとか、少し後悔気味である。
他に健聴生と比べていいと思う事と言えば難聴同士の友人は、年下も年上も又、男も女も関係ないといったところである。
気さえあえばもう友達って感じなのである。
それだけにやっかいな問題も普通に比べて多く起きるけど。 ( つづく )
Esperanza
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