2011年10月1日土曜日

福祉や教育は どっちに向いているの


Once upon a time 1971

 聞こえないし、声がことばにならないし、書けないし、読めないし、そんな中で必死にお金を貯め込んで、子どもの後のことを考えて生命保険を掛けていた夫婦。
 その夫婦の状況につけ込んで、だまし取ったお金。それを返すから、犯罪をもみ消してくれ、と頼み込む。

福祉はどっちに向いているの

 二重、三重にも、いやそれ以上に誠意を持って生きている夫婦の人間性を踏みにじる行為に許せなかった。
 だから断固として断った。

 なぜ、「あの夫婦になかったことにしてもらえないか。」という話に私を利用しようとするのか。私は、犯罪のもみ消し役か、とさえ思ったが、保険勧誘して誤魔化した保険外交員の妻と夫は何とも思っていないようであった。
 さらに、しつこく係長が、「(保険勧誘した夫婦がここまで来ているのだから)やってあげたら」と言い続けるのには、腹立たしさを通り越していた。
 福祉は、どっちに向いているの。
 そういうことしか思い浮かばないほどの心境に陥っていた。


被害者がナゼ震えなければならないの 逆ではないの

 ともかく「本人さんに謝って、元通りにすべきではないか。」と言ったが、これはあくまでも被害者の側にたって言ったことであるが、あとあと慚愧に耐えない状況に追い込まれてしまった。
 「それがいい、君も立ち会いなさい」と係長。
 再び、ドアを開けてもらい被害者の障害者宅を訪れた。

 ドアーを開けて私の顔を見てにこにこしてくれたが、後ろにいる保険外交員の妻と夫の顔を見ると、顔が真っ青になり、障害者はすっ飛んで部屋に隠れてしまった。
 保険外交員を玄関に待たせて、中に入れてもらい身振り手振りで説明して、古い証書と再発行された証書を見せた。
 加害者が平然として、被害者が震え上がる姿に日本の社会の中で障害者がどんな生き方をしているのかを見せつけられた。
  何とか、それなりにわかってくれたようであるが、私たちの側から離れないでくれ、と服を引っ張って離さないことから見て取れた。


あやまったら、もいいい、とする、もういい、の二つの意味

 私は、声を掛けて保険外交員の妻と夫を呼び入れた。
 外交員の妻は、声高にしゃべり続け止まることはなかった。
 「なにをを言っているんです。謝りに来たんではないんですか。そうでなかったら、帰りますよ。」と言うと、急に態度を変えて、外交員の妻と夫は頭を何度も下げた。
 腹の底は見えているが、障害者夫婦には「あやまる姿だけ」が見える。

 恐怖心もともなって、もういい、もういい、という身振りをはじめた。

勝手に許されたと解釈して帰った保険外交員

 もう帰ってほしい。二度と来てほしくはないという態度。
 そして、傷の付いた証書ではなくなった証書を指さす。
 保険外交員の妻は、「許してもらえた」と勝手に解釈して「解約して以降巻き上げたお金」の領収書を差し出した。
 「もう帰って、」の身振りは分かるらしく、すぐ外交員の妻と夫は帰ってしまった。
 私は、袖を引っ張り続けられていたのでその場を離れられなかった、
 二人がドアーから出ていく様子を見て、ドアを内側から施錠して、私にお茶が出された、


 

元に戻ったことへの最大の感謝とこころの重さ

 そして、笑顔で何度も私に頭を下げる。私は、逆に申し訳なくて、自分の非力を嘆いていたのに…。
 ともかくもとに戻ったことがうれしかったらしく、何度も何度も頭を上げ、手をあわされた。

 逆に、こんなんで済ませていいんだろうか、と思ったけれど、騙されたことへに怒りは持てず、元に戻ったことの「喜び」が勝っていたようだった。
 帰り道。初めて来た時よりも心は重かった。


1948(昭和23年)年に盲・聾学校の義務化だけが
 行なわれることとなった、という文部科学省のウソ

 文部科学省は、
「憲法や教育基本法にうたわれている教育の機会均等の理念の具体化の一つは、新学制における特殊教育諸学校の義務制実施であったといえよう。」
『明治以来の小学校教育の義務制とこれに伴う就学率の高水準を見るにつけ、わが国盲・聾教育関係者の間では、かねてから盲・聾教育の義務化を念願する声が強かったが、終戦間もなく結成された全国聾唖学校職員連盟の第一回大会で「盲・聾児の盲・聾学校への就学を義務化せよ。」という決議が行なわれたのをきっかけとして、その他の職員団体もこの要求を掲げ、その実現のための運動を開始した。
 また、米国教育使節団報告書も、心身障害児のための学校の特設と、それへの就学の義務化が規定されるべきことを』
のべ、
「このような気運を受けて新しい学校教育法においては、特殊教育を行なう学校として、盲学校、聾学校および養護学校という三種類の学校を設け、これらの学校には、幼稚部・小学部・中学部および高等部を置き、そのうち小学部と中学部は必要とし、かつ、この両部への就学は義務制とする建て前がとられた。」
「特殊教育諸学校の設置は、都道府県へ義務づけられることになっていたが、養護学校などという学校は、法令の文字の上にだけあって、現実には一校もない。ただ、前述のごとく大正十二年の勅令で、盲学校と聾学校の道府県への設置義務づけだけはすでに行なわれていた。」
「こういう事情から、新学制下では、まず、昭和二十三年度に学齢に達した盲児・聾児について、盲学校、聾学校への就学を義務づけ以後学年進行で就学義務の学年を進めていくという形で盲・聾学校の義務化だけが行なわれることとなったのである。」
( 戦後の教育改革と新教育制度の発展 第一章 戦後の教育改革第七節 特殊教育一 盲学校・聾学校教育の義務化より)


と書いているが、1970年初頭、聾学校や盲学校で教育を受けてきた人は圧倒的に少なかった。

 義務化しても学校に通える保障は何もされなかったからである。

新しくコミニケーション手段を学んだ夫婦の新しいお礼

 今回のような事件は頻繁してあった。
 地域の障害者団体の集まりに参加しても、何らかの形で学校に行った経験のある障害者の人のほうが圧倒的にすくなかった。
 戦後、26年。

 教育は障害者の人々に保障されていないことは歴然としていた。だから、多くの哀しい出来事があった。
 今回の事件も、次の新しい事件を引き起こしていくが、聞こえないし、声がことばにならないし、書けないし、読めないしという条件を抱えた夫婦は、その後、障害者団体の援助と輪の中でコミニケーションを獲得してみるみる変わっていく。
 そして、保険事件を振り返り、お礼とともに当時の気持ちを私に細やかに説明してくれることになる。

 だから、私は、読む、書く、話すという教育問題について、いい加減なことを書く、デタラメなことを広める大学教授を許すことが出来ないのかもしれない。


参考
教育と労働安全衛生と労働安全衛生と福祉の事実
2011年5月1日日曜日教育史を踏まえない自己仮定の断定
教育展望と滋賀大学教育学部窪島務氏の巨像と実像など
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http://kyouikutorouann.blogspot.com/2011/05/blog-post.html
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「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。

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