2011年10月22日土曜日

本末転倒の国際比較をする滋賀大学教育学部窪島務氏への疑問


 1979年の養護学校義務制に向けて激しい論争が日本で行われた。
 当時の論争における養護学校を否定するか否かはともかくとしても、ある府県の調査によると調査方法にさまざまな問題があるが、障害児学校にも障害児学級にも入学・入級しなかった子どもたちの人数が障害児学校・障害児学級の3倍以上であったことも窪島氏は承知していない。
 さらにそれらの子どもたちの学習状況をも把握していなかったことが最近の彼の文章で明るみになってくる。

それぞれの国の概念基準にそろえて比較検討するのが研究

 国際比較としながら窪島氏は、最低限それぞれの国の概念基準にそろえて比較検討するのが研究者として常識事項だろう。
 だが、彼は、アメリカに一部の州やドイツの一部の州やイギリス。ユネスコの統計を見ても文部科学省の障害児学校・学級の項目しか眼中にないと考えられる。
 少なくとも、毎年、5月1日付けで調査する文部科学省の全国の生徒の在籍調査などを含めた基本統計を読みこなせば、普通学級(彼は文部科学省が通常学級という通達を出したとたんに普通学級という用語を自ら投げ捨ていた。日本の教育制度には、通常学級という用語はない。)で、アメリカやドイツやイギリスで対象とされる障害児がどれくらいの比率で教育を受けていたが把握できる。
 特に、各種保健調査や各種学校調査をクロスさせれば、さらに詳細に把握できるし、彼の得意分野であるとするドイツの概念に変換して比較することも可能である。
 文部科学省が充分把握出来ていないことを問題にするのなら、文部科学省の「発達障害」の概念を鵜呑みにして肯定するのは納得のいかないことである。

調査方法に潜む大問題も知らずに単純比較

 「教育とはもともと実践以外のなにものではないのであるから,教育が実践性を有するのは当然のことではな,いのか, という疑念が呈されよう。理論上はその通りなのである。」
と窪島氏が主張していることは先に述べた。
 彼が、実践以外のなにものでもない、とするならば、文部科学省統計の基本調査である学校やその調査にあたった教師にその調査の実状を聞きもしていないで、文部科学省の調査結果だけで判断していることが窺える。
 ある県の教育学部の教授は文部科学省の統計や各種結果が発表された時に、必ず学校の教師たちに尋ね、調査結果と照合していると報告されている。
 そして、その教授は、文部科学省の統計を分析している。
 これは、その教授が、教師や学校と充分な信頼関係を築き、密接な関係を持っているから出来ることである。
 文部科学省の統計や調査資料報告を鵜呑みに出来ないことは、学校教育の実践者たちは充分承知している。

トップダウン方式の調査に学校の教師は振り回されている

 文部科学省の調査書などは、文部科学省から各都道府県教委。各都道府県教委から各都道府県教委・各市町村教委。それから、学校長へ行き、各学校の担当者か、他の管理職が記入する。
 記入され結果は、逆のルートを通ってまず府県レベルで集約され、文部科学省に報告される。その集約結果を文部科学省が発表される。
 このルートの中では、幾重にもチエックがかかり、訂正・改変されることが非常に多い。
 このことを、ある県の教育学部の教授は知っているが所以に文部科学省の統計の信憑性を確かめて研究論文を書いている。
 少なくともこのような調査の実状を知っているならば、文部科学省の調査結果だけでことを論じることはないはずである。
 文部科学省のトップダウン・ダウンアップの調査方法には、大きな矛盾がある。
 ある問題に絞った調査は、チエックがかかるが、その他ではチエックがかからないということことがある。
 そのため調査報告の整合性と矛盾をクロスさせると意外に実態が把握できるということがある。
 それより以前に調査項目が、ある結論しか出てこないような質問項目になっていることも多い。
 さらに問題なのは、最近の文部科学省の調査なるものは受験産業会社に委託、集約させていることも「情報の保持」「プライバシー保護」から考えても問題があるが、そんなことも窪島氏は知らないらしい。

アメリカの数値を基準に近づけようとする無謀な考え

 窪島氏は、文部科学省の発達障害の数値の把握が、アメリカなどとあまりにもかけ離れていることを問題にして、普通校では、発達障害児はもっと多いはずだと決めつける。
 それなら、文部科学省がどのような方法で発達障害児の調査をしたのかを各学校の教師たちに聞いてみるべきだろう。
 どのような調査項目で、どのような中味であったのかを。
 現在では、情報開示がされているのでそれらの資料を入手出来るはずである。
 それらのことをしないで上辺だけの調査結果で論じるのは、科学的とは言えない。
 では、これらの調査上の問題は、日本だけかも考えておく必要があるだろう。
 もっと言えば、窪島氏が、「アメリカの約10%」を前提にしていることである。
 アメリカは、識字率が高いとしているが、それはヒスパニックなどなどの人々を除外した数値であることを考えていない。
 アメリカこそ、なぜ高率なのかを考えないで、アメリカは高率だから、日本は低すぎるという理屈は、本末転倒であろう。

窪島氏は、普通学級の取り組みを研究もしてこなかった

 比較できないもので、比較する。この記述は窪島氏の文章に貫かれている。
 研究者が、研究しないで文部科学省の調査結果だけで論じる自らの立場に恥じることもないようである。

普通校で学ぶ障害児の実状すらも
      見ていなかった「障害児教育学」

 今や障害児学校と障害児学級に在籍する障害児より、普通校に在籍する障害児のほうが圧倒的に多い、と書くと、窪島氏は、それは単に在籍しているだけにすぎないと断定するだろう。
 だが、それは学校で悪戦苦闘しながら教育実践している教職員への侮蔑でしかない。
 彼の過去、これらの研究に注目しなかっただけである。
 普通学級に在籍していた障害児の教育実践は、障害児学校・学級での教育実践よりはるかに多い。
 それは、窪島氏は、教育学とか障害児教育学とかを自分の専門分野と自負していた頃に、障害児学校や障害児学級だけに目が行き、全体の教育の中で障害児がどのような教育を受けていたかすら知らなかったという自己証明でしかない。



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