2011年10月5日水曜日

何もしないからこんな身体になるんや、と言った医者が、まあ、やれるところからねぇ、やってみて


Once upon a time 1971

 昼休み食堂。一人で慌てて食べる私の所に、トレーを持った公用車の運転手がやってきた。
 「きばってるなぁー」と言いながら、ガタガタの自転車をこいでいる私を公用車から見ていた話をしはじめた。

障害児者のために公用車使ったら、えっ本当に

「公用車つこたらいいのに。」
「そんなの認められられませんわ。」
「公用車は、市長や偉いさんのためにあるのやないで。」
「えっ。そうなんですか。」
「あたりまえや、市民のために使ってこそ公用車や。」
「でも…」
「遠慮はあかん」
「じゃ、障害児者も乗せて貰えるんですか。」
「あたりまえやないか。そんなのおおいに使って。運転中に市長にも言っておくし、配車担当に言っておくから。」
 非常にうれしい話だった。

 当時タクシーは高いし、障害児者にも簡単に乗れるものではなかった。
 ましてや、公用車は高級車。乗れるなんて夢のまた夢だった。
 市長が乗る公用車に障害児者も乗れるなんて。信じられないなぁ、と思っていたら公用車の運転手がやってきて、「市長に言うておいたからな。」と言った。

急過ぎる坂にへばり付く家の玄関は

 そこで思い出したことがあった。

 雨が降るとドロドロで滑っる急な坂。では、晴れているときは、坂を登れるのかと言えばそうではない。
 まるで登山をするように、一歩一歩、登らないと行けない坂のちょうど真ん中ぐらいにこんな急な所にこんな小さな家を建てたなあっ、
と驚くぐらいの木造平屋建ての家があった。
 その家の障害者から連絡があって、障害者手帳を申請したいという話があった。早速訪問したが、自転車ではとうてい登れないし、まして押して登っても危険なところだったので、歩いて一歩一歩坂を登って玄関先から声を掛けた。
 「はーい。どうぞ」という声。いつもの調子で、「失礼します。」と言って玄関の引き戸を開けようとしても開かない。
 「すみません。鍵を開けてください。」と言うと「傾いているから開かないのです。力を入れて開けて開いたら、隙間から入ってください。」との返事。


お金もないし、とうてい行けそうもない
 

 力任せに開けると、わずかに戸が開いて身体を斜めにして家に入った。
一間だけの部屋に寝ていた高齢の婦人は、「障害者手帳がほしいのです。」「福祉の世話にならないと、やって行けないと聞いたものですから。」と言う。
 そこで、障害者手帳申請の話をすると「お金もないし、お医者さんにかかれないし、行けないんです。」との返事。

 近くの人のお世話になっているが、その人が障害者手帳のことを言ってくれたらしい。
 そこで身体障害者巡回更生相談というのがあるので、その日に来たら、費用もかからない、と説明したら、「そこまで、行けるでしゃろか。」と言われて、うーんとなって行き詰まってしまった。

 急な坂でタクシーも来てくれない場所。「帰って、相談します。」と言うのが精一杯で急な坂をひっくり返らないようにして役所に帰った。難問、と思っていたのだが。

何もしないからこんな身体になるんや

 そのことを思い出して、公用車の運転係まで行って事情を話した。
「そら、行かんとあかんわな」
即答だった。
 巡回更生相談の日、公用車は急な坂を難なく登って、高齢の婦人を乗せて難なく会場まで連れてくれた。
 が、会場で大変なことになった。
 高齢の婦人を診た担当の整形外科医が「あんたは、機能的に何ともない。もっと身体を動かしなさない。外に出て歩くとか、散歩するとか。何もしないからこんな身体になるんや。障害者手帳の診断書なんて書けるか。」と怒り出した。
 医科大学の助教授が、その日の整形外科医としての担当だった。医者が怒り出したたので、高齢の婦人は萎縮して下を向いただけだった。


在宅障害児の訪問教育制度に使われた公用車

 その声を聞いて、了解をもらってから「先生、そうかもしれませんけど、この方の家は…」と高齢の婦人の置かれている環境を説明した。
 すると医者の表情は変わって、もう一度、高齢の婦人を詳しく診察しはじめた。

 待つ時間は長かったが、「まあ、やれるところからねぇ、やってみて」と言う医者の声とともに診断書を持った高齢の婦人が診察所から出てきた。
  何となくホッとして、公用車に乗り、運転手は見事に戸の前に車をつけてくれて、一緒に戸を開けてくれて高齢の婦人を部屋に入れるように手伝ってくれた。
 役所への帰る車の中で「ありがとうございました。」と言うと「なんのなんの、これぐらい。気を使ったらあかんで。」と言われた。
 このことが切っ掛けで、のちのち京都府教委が在宅障害児の訪問教育制度をはじめたときにこの公用車が頻繁に使われるとは夢にも思わなかった。

 

 「なんのなんの」のことばが、今も残っている。



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