Once upon a time 1971
Aさんが言った
「身体がこういうようになったので臨床は出来ないので、新しい角度から…」
と言う本当の意味を深く知るのは、ズーつと後になってからだった。
底知れぬ深い想いと煮えたぎる怒り
Aさんは、それまで抱えていたひどい仕打ちや学問研究の分野から排除された胸の内を書き綴って本を出そうとしたが、どのこの出版社からも断られた。
それは彼が書いた文章に著名な研究者を批判していたこともあったと知った。
出版社の中や多くの人々が陰に陽に彼の出版を妨げた。
1980年代末のことである。
Aさんは、死を目前にした病床で書きおろした自らの生涯を綴った本は、東京のある出版社から出され世に出た。
その頃私は、福祉の分野で働いていなかったが、本を貪るように読んだ。
本を読み終えた私に迫ってきたのは、底知れぬ深い想いと煮えたぎる怒り、だった。
Aさんと出会ったとき彼が病気で歩行困難になり「石をもて 追わるるごとく ふるさとを 出でし悲しみ 消ゆることなし」以上の心境であったと解った。
医科大学が重度の障害者になったAさんをこれまでのすばらしい実績を踏みにじり、追放したこと。
その時の医科大学の非情さにこころの底からの怒りを覚えた。
そんな心境の渦中にいた時に私に
「臨床は出来ないので、新しい角度から…」
と言われたのは、苦悩の中から見いだした一筋の道であったと思えて、Aさんの著作をもう一度すべて読み直して哀しみを堪えた。
死を目前にした病床で書きおろした本…
いったいAさんの死を目前にした病床で書きおろした本の何が問題だというのだろうか。
いや、本には製薬会社や国にすり寄る学者・研究者を批判し、すべての人々が健康になるための薬学の方向が切々と書かれていた。
自らの身体も心もぼろぼろになりながらも、人間の炎を燃やし続けたAさんにこころからの尊敬の念と教えてもらったことを刻み込み、生かそうと決意した。
それにしても、なぜ学者・研究者に対する批判を避け、Aさんを非難したのか。
Aさんを非難した側の心情は推測出来ても、絶対その心情を理解出来なかった。
学問研究の分野で、批判をさせないと言うことは、学問研究の自由を認めないと言うことではないのか。
Aさんが、重度障害者になったから学問研究する資格はないとした医科大学や同調者を私も許せなかった。
毒をもって毒を制すると江戸時代の古書に
私はそういうことを十分知らないままAさんと話していたし、Aさんも私の質問にもわかりやすく応えてくれていた。
その頃、書かれていたのが「くすりと私たち」「薬学概論」だった。
書かれた後で、著者から「贈呈」としていただいたから、何度も読んだが、「くすりと私たち」は、非常に解りやすかった。
その本を書かれていることを知らずに私は、Aさんに
「薬って、病気を治すものではないんですか。それなのになぜ、サリドマイド事件のようなことがおきるのですか。」
と聞いた。
するとAさんは、江戸時代の古書を本棚からとるように言われた。
私は、言われるままにその本を本棚から取り出し、Aさんの前に置くと、本をパラパラッとめくってある箇所を示した。
そこには、毒をもって毒を制す、のような漢文が書かれていた。
人々の健康と薬の役割の歴史
Aさんは、病気の人には有効であっても、病気でない人には有害になること。
また飲み方、量、時期などさまざまなことを充分配慮しても配慮しすぎることはない。
それは、毒をもって毒を制する、ということがあるからだとていねいに説明された。
「え、」っとつい言ってしまった。
その頃私は医者にもかかったこともないし、薬を飲んだこともなかったからである。
Aさんは、このことは江戸時代から言われたことではなく古代から人々に伝承されてきたことなどを説明し、それが明治時代になると大きく転換させられていく、などと言われた。
ある日。
訪問したときにAさんは突然、
「人間の細胞から、同じ人間がつくられる。君はどう思う。」
と聞かれてびっくりした。
人間が、コピー出来る実験がほぼ成功している、とAさん。
「教育と労働安全衛生と福祉の事実」は、ブログを変更しましたが、連続掲載されています。以前のブログをご覧になりたい方は、以下にアクセスしてください。
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