2011年10月30日日曜日

滋賀大学教育学部窪島務氏は自己の利益を優先 教職員組合が出す研究誌「障害者教育科学」は「自己の研究実績」にならないと否定


2、窪島氏は、京都教職員組合(以下京教組)障害児教育部が発行していた研究誌「障害者教育科学」を、京教組障害児教育部の役員交代で創設者が現場で教育実践に傾注している最中に、窪島氏が、イニシアチブをとり出版社とはなしをつけて、出版社から発行するようにした。
出版社は、障害者教育科学が全国に広がり、発行部数も多いことから利潤を考え快諾した。
そして障害者教育科学の編集責任者に窪島氏がなった。

教職員組合が出す研究機関誌では研究者の実績にならないと

そのことをあとで知った京教組障害児教育部の創設者たちが、

「教職員組合は、国際的にも教育団体として教育政策などに意見を言える権利を持っている。だが、私たちの力量はまだまだ充分でなかった。自分たちが研究し、自らの力量を相互に切磋琢磨すること。また組合i以外の教師や人々の意見や研究を発表する場を研究誌として保障してきた。」

「何のコンタクトもとらず、経過も知らない京教組障害児教育部役員を言いくるめて、出版社から出すのはおかしい。」

「もともとこの本は、田中昌人・藤本文朗氏が代表になって、窪島務氏が事務局長と言うことで、京教組障害児教育部と研究者が協力して障害者教育科学を発行するという約束で発行されてきたのではないか。田中昌人氏や藤本文朗氏や窪島務氏らが、教職員組合が主体となって研究学習することは非常に意義があると賞賛されていたではないか。そのことを一番よく知っているのが窪島務氏ではないか。」

「障害者教育科学発行までに京教組障害児教育部の仲間が、本を売り歩いたり、資金を集めて、障害者教育科学を発行してきたことは充分知っているではないか。それがなければ、障害者教育科学は発行できなかった。発行できる資金が出来たら出版社に譲り渡す。これでは、努力して創り上げてきた教師への信義に反する。」

「研究者としては、教職員組合が研究誌を発行していることを評価し、激励するのが本来だろう。それを自分のイニシアチブがとれるからと出版社に持ち込むことは道義的反する行為だ。」

と言う意見に対して窪島氏は、
「そんなのは、君たちの問題だ。」「感知しない。」

「教職員組合が出す研究機関誌では、研究者が書いても研究誌に投稿したという実績とならない。」
と言い、激しい言い争いになったことは伝承さられている。
その後、窪島氏は既成事実を盾にあらためることはなく、彼の文章や「論文」が、障害者教育科学に掲載された実績として各種学会誌に紹介するようになった。

研究誌「障害者教育科学」が赤字となると

ところが、そこまでした研究誌「障害者教育科学」が出版社として、維持できなくなる頃に「発達障害教育研究誌」なるものを「暗示」し、自ら発達障害教育研究所紀要編集長と公表をするようになっている。

自分のためなら何でもするという批判が

自分のためならどんなことでもするという批判が、京教組障害児教育部が発行した研究誌「障害者教育科学」の創設者たちから出ている。
研究誌「障害者教育科学」は、創刊号(1981年)から第37号(1998年)まで、京教組障害児教育部が発行。
2010年1月の60号休刊まで、かもがわ出版・クリエイツかもがわが出版されていた。
1998年に窪島氏が言い出したことを時系列に見ると、かれの本心が見えて来るから不思議だ。

LD学校をつくることを公表しないわけはどこに

3、LD学校をつくることを保護者に言っている事から考えても、では、なぜ、彼はLDの「特別な学校をつくる必要性と構想を持っている」のか。
それならば、普通学校の先生と親を離反させることを必要以上に「煽り立てる」のか理解できない。
考えられるのは、大学を退職後の就職を考えているからだという意見もあるが。

参考までに京教組障害児教育部発行時代の研究誌「障害者教育科学」に彼が書いた文章を二例だけ掲載しておく。
障害者科学
創刊号(1981年)
論文 「共生・共育」論=障害児教育解体論の本質をあばく
─篠原睦治和光大学助教授批判─ 
  第3号(1981年)
論文 福井達雨氏(止揚学園理事長)の虚像と実像
─この唯我独尊的・反民主主義行動と思想の批判─

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